2013年8月18日日曜日

NHKスペシャル「自衛隊と憲法 日米の攻防」 文字起こし



先月、被災地福島で自衛官の任命式が行われました。

隊員24万人、日本を防衛する自衛隊、

入隊した自衛官に義務付けられているのが宣誓です


 
宣誓 
 
私はわが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、
 
日本国憲法及び法令を遵守し、
 
一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、
 
人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、
 
強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、
 
事に臨んでは危険を顧みず、身を持って責任の完遂に務め、
 
もって国民の負託にこたえることを誓います



発足以来、専守防衛に徹してきた自衛隊、

戦争放棄を謳った日本国憲法の枠のなかで運用されてきました 

この20年PKO、インド洋での給油、

そしてイラクへの派遣、海外へと活動の場を広げています


今、政府は同盟国などが攻撃を受けた場合、

実力をもって阻止する集団的自衛権の行使について

憲法解釈の見直しを検討する考えを示しています


さらに憲法9条を改正するのか

自衛隊を軍にするのかどうかという議論も行われています

自衛隊の任務が拡大した背景に何があったのか

今回私たちは、

それを知る手がかりとなる機密資料を入手しました

そこから浮かび上がるのは

この20年繰り返されてきた同盟国アメリカからの要求でした



ジョージ・ブッシュ大統領(1990年)
日本の軍事支援は私たちの仲間に完全に参加したというシグナルとなる
 
 
アマコスト米駐日大使(1991年)
アメリカの国益のためには
国際社会から孤立するのではないかという日本側の不安を利用するべきだ
 
 
ウィズナー国防次官(1993年)
日本周辺だけでなくさらに広い地域でアメリカ軍の活動を自衛隊に支援させる



自衛隊と憲法

私たちはどのような道を歩んできたのか

そして何を選択していくのか

日本とアメリカ知られざる攻防です



(社会部デスク小貫武)
間もなく終戦から68年を迎えます

先の大戦では日本だけでも310万もの命が失われました

その翌年に交付された日本国憲法

その第9条には

「国権の発動たる戦争と、

武力による威嚇または武力の行使は、

国際紛争を解決する手段としては、

永久にこれを放棄する」

と定められています


私はこの十数年、防衛省、自衛隊を取材してきましたが

憲法の枠の中でどれだけ活動できるのか

同盟国アメリカの求めにどう応じるのかが焦点となってきました

そして今議論されているのが集団的自衛権の行使です

集団的自衛権とは同盟国などへの攻撃を

自分の国が攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止することです

自衛の範囲を越えるとしてこれまで憲法解釈上許されないとされてきました

日米同盟を維持し、周辺国への脅威に備えるためにもこれを容認すべきだという意見があります

一方で海外での武力行使に道を開くもので一線を越えているという意見もあります


この集団的自衛権の行使を認めるのか認めないのか

そこからさらに踏み込んで憲法第9条を変えるのか変えないのか

私たちはまさに今日本の在り方そのものを考える重大な局面に立っていると言えます

NHKはこの20年に注目して取材を進めました

この前の東西冷戦が続いている時期は大国同士の均衡が保たれ

自衛隊が海外で活動することは求められてきませんでした

しかしこの20年、政府は憲法解釈を重ね

自衛隊の海外での活動の幅を大きく広げたのです



現在の議論につながるこの間に何があったかを知ることが

未来を考える上で重要だと私たちは考えたのです




1.湾岸戦争 海部首相とブッシュ大統領


まずは1990年イラクによるクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争です

日本は自衛隊を派遣せず、経済的支援のみを行いました

このとき水面下で行われていたアメリカから日本への働きかけ

自衛隊と憲法を巡る日米の攻防の始まりでした


日米の安全保障に関する機密文書が

請求からおよそ10年を経て去年アメリカで開示されました

アメリカの公文書の分析をしているシンクタンクです


国務省や国防総省などが長年機密指定を解除しなかった1000点近くの資料

その中に湾岸戦争を巡る当時のアメリカ大統領と日本の総理大臣の電話会談の記録がありました

その公が明らかになるのは初めてです



ブッシュ大統領 俊樹、元気ですか。
 
海部首相 元気ですよ、ありがとうございます。あなたは元気ですか。
 
ブッシュ大統領 電話をしたのは、あなたと私が深く懸念していたペルシャ湾の状況について話をしたかったからです。



電話会談を行っていたのはジョージ・ブッシュ大統領と海部俊樹総理大臣

就任から1年、海部首相は最大の外交課題に直面していました

この電話の前日、クウェートにサダム・フセイン率いるイラク軍が侵攻、

ブッシュ大統領はイラクを抑えこむため日本の協力が必要だと打診していました



ブッシュ大統領 私は昨日、サッチャー首相と会い、コール首相とミッテラン大統領とは電話で数分前に話し、イラクの行動を覆させることで一致しました。日本とアメリカがひとつになることが非常に重要です。ともに取り組むことを要請します。
 


この電話がその後も続くアメリカから日本への働きかけの出発点でした


1990年、世界の安全保障を巡る環境は大きく変化していました

前の年、ドイツのベルリンの壁が崩壊、東西冷戦が集結します

代わりに世界各地で始まった紛争

アメリカは冷戦後の新しい秩序づくりの主導権を握ろうとしていました


ジョージ・ブッシュ大統領
イラクのクウェート侵攻は暗黒の時代に引き戻す行為だ



アメリカは各国に呼びかけて多国籍軍の編成に取り掛かります

最初の電話から10日後、ブッシュ大統領は改めて軍事的な支援を要請

このとき日本の憲法にかかわる問題についても言及していたことが分かりました



ブッシュ大統領 イギリス、フランス、オランダ、そしてオーストラリアが海軍の派遣に合意してくれました。ぜひ日本にも経済面だけでなく軍事面でもできる限りの支援をお願いしたいと思っています。日本は第二次世界大戦後歩んできた道のりを考えると、軍事面での支援が時代を画する出来事になると承知しています。しかし、日本が軍事的な一歩を踏み出せば私たちの仲間に完全に参加したというシグナルを送ることになります。


これに対し海部総理は憲法の理念から多国籍軍への参加はできないと伝えていました。


海部首相 あなたが触れられた軍事面の支援に関してですが憲法上の制約、そして国会の議決により軍事活動にわれわれが直接的に参加することは考えられません。多国籍軍に参加することはできないのです。


アメリカから軍事支援を求められた元総理大臣の海部俊樹さんです

今回開示された電話会談の記録を見てもらいました

海部さんは当時の緊迫したやりとりを記憶していました



海部 厳しいよね、これは。ここもやってる、ここもやってる、ここもやってる、君んとこだけじゃないかというようなニュアンスでしょう。



海部さんは同盟国アメリカの求めとはいえ

憲法9条に抵触する命令を自衛隊には出せないと考えていたといいます

憲法9条では一項で戦争を放棄し、二項で交戦権を認めないとしています


 
海部 9条二項のただし書きでは「国の交戦権はこれを認めない」と、最後のダメ押しまでしていますから。だから自衛隊が出て行けと言うことはできない。政治家がまずこれを守らなきゃならんと。身をもって守っていかなければ、国家の最高規範だからそれが崩れたら民主主義ちゅうのとか議会制民主主義ちゅうのはどうなっちゃうんだと。



日米首脳による自衛隊と憲法を巡る攻防

アメリカ側は湾岸危機を自衛隊の運用を変える絶好の機会と捉えていました

今回私たちが入手した国務省の機密資料の中にその思惑が記されていました


 湾岸危機は日本が自衛以外の軍事的役割を一切果たさずに済まされるのかということを問うている。それは日本の社会にとって軍事力とは何かという戦後直視されてこなかった根本的な問題提起である。
 アメリカの国益のためには国際社会から孤立するのではないかという日本側の不安を利用するべきである。そうすれば日本政府から軍事的な支援を引き出せる可能性がある。


これを記したのは当時の駐日大使のマイケル・アマコスト氏

日本の政界に人脈を築き、強い影響力を持っていた人物です

現在、大学で国際政治を教えているアマコスト氏が取材に応じました

アマコスト氏は海部総理が一度断った後も

政府関係者を訪ね自衛隊派遣を促し続けたといいます



アマコスト 当時、私たちは石油を守るために数十万人の若者を地球の裏側の戦争に派遣しました。日本にとっても絶好の転換点でした。新しい時代に即して同盟の形を変えるお膳立てが整っていたのです。安全な場所だけに行って安全なことだけをして、簡単な仕事だけで済むと思うのは間違いです。



アメリカから繰り返し要請を受ける中

海部さんの念頭にあったのは先の大戦だったといいます

自らの戦争体験から自衛隊の運用は慎重であるべきだと考えていました



海部 僕らも戦争中に学徒動員でいろいろ経験したし、雨と降りくる焼夷弾の下におったこともありますから戦争の惨禍というのは身をもって体験してますから。二度と、またさせてはならないから、それを抑えていくのがある意味では政治の責任でもありますよ。



判断を迫られた海部さん、

大きな影響力を持っていた官房長官の言葉を支えにしていたといいます



海部 後藤田さんが言ったことだもん。「それは君、蟻の一穴論だよ」と。で、俺が「蟻の一穴論てなんだ」って聞いたら堤防の例を出されて「蟻が通る蟻通ちゅうのはだんだん太くなる、そこへ今度は蟻じゃなく水が来るようになると川の水で堤防は破壊されてしまう。堤防が破壊されると水害が起こって人命が危なくなる。だから、それから気をつけなきゃならんのだ」と。


最初の電話から2カ月後、1990年9月29日、

海部総理はブッシュ大統領との首脳会談に臨みます

今回見つかった資料でその詳細が明らかになりました

メディアによる撮影の後、

海部総理は戦後日本が歩んできた道のりと憲法の理念を語っていました



部首相 日本人は戦後45年間、アメリカによってもたらされている平和を享受してきました。
 一方で日本人は第二次世界大戦中に世界に極めて深刻な問題を引き起こしたため、いかなる軍事活動にも関与しないことを決めました。そもそもそれがアメリカがつくった憲法の枠組みなのです、ジョージ。そして日本の安定がアジアの安定に貢献しているのも真実です。
 現在われわれが検討している法案では軍事支援ではなく非軍事支援に限定したいと思います。



これに対し

ブッシュ大統領は日本の立場に理解を示した上で

それに代わる速やかな経済支援を求めていました


自衛隊の派遣を求め続けていたアマコスト米駐日大使、

アメリカへ送った報告書に

日本の憲法の壁を乗り越えるのは容易では無いと記していました



アマコスト米駐日大使(1991年3月)
世論調査によると日本の市民の間では多国籍軍の支持率は上がっているものの、平和憲法や海外での軍事的活動には参加しないことを改めて肯定する声も非常に多かった。日本の市民の反戦感情と軍隊に対する不信感は依然として根強い。
自衛隊を海外に派遣すること、まだその機は熟していない。



湾岸戦争への自衛隊の派遣を断った日本は

1兆円を超える経済的支援を行います

しかし、それは小切手外交と非難を浴びる結果となっていくのです





  2.PKO協力法


憲法の理念から自衛隊を湾岸戦争に派遣しなかった日本

一方で小切手外交との非難を浴び

自ら自衛隊の海外派遣を模索していきます


湾岸戦争の後、ペルシャ湾に掃海艇を派遣したのに続き、

国を二分する大きな議論になったのが国連のPKO、平和維持活動への参加でした


憲法の枠組みの中でどこまで活動できるのか

武器の使用はどこまで許されるのか

検討を重ね、自衛隊は初めて外国で活動することになったのです

国際社会からの孤立を恐れた90年代の日本、

その動向をアメリカは注視していました


湾岸戦争の後、自衛隊を国際貢献のために活用すべきと主張した外交官がいます

当時外務省の事務次官を務めていた栗山尚一さんです

栗山さんは今回、

海部総理に自衛隊のPKO派遣を進言したことを明らかにしました



栗山 湾岸戦争が終わりましたときにね、私は海部総理のとこに日本の対湾岸戦争政策を総括するっちゅうことで官邸に1人で伺いましてね。一国平和主義でこう小さく立てこもってるのは、そりゃ日本が小さいときは良かったでしょう、しかしこれだけ日本が大きくなったときに同じように小さくなって他のことは知りませんと、日本自身が戦争に巻き込まれなければいいんですという立場はね、やっぱりとれないでしょうと。



PKOは原則として紛争が停止した状態で行われます

この条件ならば自衛隊の海外派遣を

世論や近隣諸国も納得すると栗山さんは考えたといいます



栗山 日本が軍国主義化するというようなことを仮に言い出したとすると、国内でもそうだそうだという人も出てくる。そうなってしまうとね、これは動きがとれないことになって外交としては行き詰まっちゃうんですね。やっぱり国連のお墨付きというものがあるという状況が必要だと思うんですね。



PKOへの参加に向けて本格的な検討を始めた日本

今回入手した国務省の機密文書から

アメリカ側が強い関心を寄せていたことが分かりました



 日本はPKOへの参加で小切手外交から卒業し、国際問題に対して一歩進んだ役割を果たせるようになると考えている。

 われわれの関心は日本がPKOにより柔軟に参加できる条件をつくれるかどうかにある



自衛隊を海外派遣するためのPKO協力法

他国の領土での活動が侵略につながるとして各地で反対運動が行われました


PKO協力法は1年近くの審議を経て1992年6月に成立

憲法に抵触しないよう派遣部隊の武器の使用は制限されました


PKO協力法をめぐって政府内でどのような議論が交わされたのか

法案を作成したのは内閣官房と外務省、防衛庁の官僚たち

その議論の詳細を記した極秘文書が残されていました

防衛庁の幹部が作成した意見書です

武器の使用を広く認めるべきだという議論があったことが分かってきました



 PKO法案は自衛隊の能力、経験等を十分活用し、いやしくも自衛隊の士気を損なうことのないよう配慮したものでなければならない
 
 武器の範囲は国連がその時々に定め、許容する武器は装備できることが基本である。

 わが国の隊員のみが各国の装備より劣位のもので参加させることはとうてい容認できない。



これに対し武器の使用を制限すべきという立場だったのが内閣法制局でした

内閣法制局は政府が法案や政令を作成する際、

憲法や法律と矛盾していないか審査する唯一の機関です


当時内閣法制局で憲法にかかわる

審査の責任者を務め、後に長官となる大森政輔さんが取材に応じました

武器の使用を広く認めると紛争にまで発展する恐れがあると危惧したといいます



大森 憲法というのは国政のやれる枠なんで、それをはみ出しては駄目なんだと。だから、ある意味では政府の行為、あるいは国家の行為の制約なんだ。
 いったん武器の使用を始めると、もう停戦自体が完全に破れて、再び停戦前の紛争状態に戻ってしまう、そうなるとどこまで深みにはまっていくか分かりませんからね。



1992年9月、自衛隊は初めてPKOに参加します

武器の使用は内閣法制局の審査と国会での審議を経て

身を守るための最小限度に留めることになりました





3.周辺事態安全確保法


自衛隊の海外派遣に踏み出した日本に

アメリカは新たな軍事的支援を求めます


きっかけとなったのは1993年北朝鮮が日本海に向け

弾道ミサイルノドンを発射したことでした

そのときアメリカは北朝鮮に対し軍事行動も辞さない構えを見せました


今回私たちが入手した国防総省の機密文書の中に

この機を捉えて日本も自らの戦略に組み込もうという狙いが記されていました



 北朝鮮の情報は日本を刺激することができる

 ノドンミサイルの技術的な情報だけでなく北朝鮮の核開発に関する極秘情報の提供を申し出ると防衛庁幹部は色めきたった
 
アメリカ軍に協力しようという気持ちをかき立てたようだ
 
 最終的に日本周辺だけでなくさらに広い地域でアメリカ軍の活動を自衛隊に支援させるため、われわれは努力を重ねる必要がある



この報告書を作成したのはフラク・ウィズナー国防次官

現在、ニューヨークの法律事務所に勤めているウィズナー氏です

当時、防衛庁や外務省の幹部と北朝鮮をめぐる協議を重ねていたといいます



ウィズナー 日本は状況に応じて進化する必要がありました。同盟国としてアメリカと共に強さがあることを明確にし、自衛にとどまらない能力を示す必要がありました。まさにそれがわれわれが日本に望んでいたことです。



アメリカはこのとき

日本の憲法の枠の中でどれだけの協力が得られると考えていたのか

当時の在日アメリカ軍司令官が取材に応じました


1993年から3年間司令官を務めたリチャード・マイヤーズ氏です

その後、アメリカ軍トップ統合参謀本部議長を務め、

アメリカの軍事戦略を知り尽くした人物です


マイヤーズ氏は憲法9条があっても

自衛隊にできることはあると考えていたといいます



マイヤーズ 北朝鮮での戦争に備え、日米共同の作戦計画をたてるため何ができるかを知る必要がありました。
 (憲法9条は)確かにわれわれが作戦を立てる上で障害でした。ただ問題は憲法自体にではなく憲法解釈の仕方にあると捉えていました。憲法の枠組みの中でどのような選択をするかという問題なのです。
 自衛隊は非常に能力が高く多くのことができます。それをやるかどうかは日本次第なのです。



アメリカが日本周辺で軍事行動に入った場合

何ができるのか政府は検討を始めます

焦点の一つとなったのが

憲法解釈上許されていない集団的自衛権の問題でした


日本が直接攻撃を受けない中でアメリカが行う軍事行動、

それを支援することは

例え輸送や補給でもアメリカの武力行使と一体化したと見なされ

集団的自衛権の行使につながる恐れがあるというのです


憲法に抵触しない支援は可能なのか

当時、政府内の検討に参加した人物が取材に応じました

当時防衛庁運用局長だった柳澤協二さんでした


外務省や内閣法制局と協議を重ね

憲法の枠の中での支援の在り方を考えたといいます


そして、1999年に成立したのが周辺事態安全確保法です。

日本周辺で軍事行動を行うアメリカ軍に

どのような支援ができるのか定められました


そこに盛り込まれたのが後方地域という考え方です

後方地域とは自衛隊の活動機関を通じて

戦闘行為が行われることがないと認められる地域のことです

この地域での支援ならば武力行使と一体化せず

集団的自衛権の行使につながらないとしたのです



柳澤 今の憲法の中でのギリギリのラインということなんだろうなと思います。
  日本自身が日本の国の在り方としてどういう線の引き方をするかということを考えた結果ということですね。



柳澤さんは法案がまとまった後

アメリカ国防総省の幹部と交わした会話を覚えています

法案では集団的自衛権の行使には踏み込みませんでしたが

相手からは意外な言葉が返ってきたといいます



柳澤 とにかくみんなこれで満足してると。ただグラスに水が半分しか入っていないけれども、それが目標であったのでわれわれはみんな満足していると、そういう言い方をする人がいましたねで、そのグラスに半分しか入ってないという意味はつまり、憲法解釈を見なおして集団的自衛権には踏み込んでいないけれども日本のやるべきことがはっきり分かったということですね。
 アメリカは肩を並べて前線に立ってくれということを希望したのではなくて、日本がやれることをきっちり決めてくれと、やれる範囲を決めてくれれば、あとは、足りないところは自分たちがやるんだと、そういうスタンスがあったように思いますね。






4.イラク派遣、統合幕僚長 先崎一



自衛隊の海外での活動を模索した90年代の日本

2000年代に入ると

実際に戦闘が行われている国で活動するまでになっています

大量破壊兵器を保有しているなどとしてイラクを攻撃したアメリカは

各国に地上部隊の派遣を求めます


この戦争が続く中、

2004年1月政府は日本独自の判断で復興支援を行うとして

イラクへ陸上自衛隊を派遣したのです


このとき派遣の根拠となったのが非戦闘地域という考え方です

非戦闘地域とは先ほどご覧いただきました

後方地域と同じように

活動期間を通じて戦闘行為がないと認められる地域とされています

同じ国の中でもこうした地域での活動なら

アメリカの武力行使とは一体化せず憲法にも抵触しないというわけです


この考え方に従って

自衛隊は首都バグダッドから離れた地域で慎重に活動を進めました

それでも自衛隊の宿営地には何度も迫撃砲弾が打ち込まれるなど

危険の中での活動になりました

日米同盟の強化も意識して行われたというイラク派遣

今回私たちは当時の自衛隊トップの日記を入手しました


そこにつづられた現実からは

他国の戦争と、間近で向き合う苦悩が浮かび上がってきます

およそ4年に及ぶ自衛隊トップの日記

イラク派遣から終了までの日々がつづられていました


派遣の半年前、2003年7月16日の日記です
アメリカのサポートはアメリカ軍と一体と見なされ敵と見なされる恐れあり

対米支援のニーズは陸上自衛隊のやろうとしていることとギャップあり


日記をつけていたのはイラク派遣当時陸上幕僚長、

統合幕僚長を歴任した先崎一さんです

隊員の安全を守るためには

アメリカ軍の活動と一線を画す必要があると繰り返し記していました

大規模戦闘が終結したとされていたイラク、

しかしバグダッド周辺の治安状況は悪化の一途をたどっていました

アメリカ軍などを狙った武装勢力などによるテロが頻発していたのです


8月19日
国連本部爆破事案、無差別化、泥沼化


アメリカ軍がテロの標的となるたびに新聞記事が貼られ

不安な胸の内が吐露されていました


9月22日
アメリカ軍と一体化 不可避 ターゲット化 アメリカ軍への支援 占領軍と見なされる 

10月10日
アメリカから言われたからやる 避けたい


統合幕僚長を退いて7年、

現在は会社顧問を務めている先崎一さんです

自らの経験が役に立つならばと今回はじめて取材に応じました

当時、政府内には

目に見える形でアメリカ軍を支援するべきだという意見もありました


一方で先崎さんは

自衛隊の活動はアメリカ軍と離れた地方都市でやるべきだと政府に訴えたといいます



先崎 当初あったんですよ、日本にバグダッド周辺で米軍あたりの給水だとか、あるいは輸送とかやってくれんかと。そういうよその国と離れて自分たちの独自性っちゅうか主体性を発揮できる場所がいいだろうと。従って、ここ(サマーワ)を何とか選んでほしいというふうなことでわれわれも具申し、ほんでもって政治に決断してもらったと。



先崎さんはアメリカ軍にではなく

地域の人たちに給水や支援を行いたいと考えていました


この前の年に参加した

東ティモールでのPKOで

日本独自の国際貢献ができると実感したからです



先崎 地域の人から第一声で言われたのは「日本の自衛隊さんはよその国のPKOが来てる部隊と違う」と。「どこが違うんですか」と言ったら「いやいや、よそのところの軍隊はわれわれはPKO部隊だと、だから工事の邪魔だからみんなにどけどけと、そういうような格好の仕事のやり方をする、日本の自衛隊は地域の人たちに明日こういうふうな工事でやります、従って相当やっぱり騒音も出てくるかもしれませんけど理解してくださいと仁義をきってPKO活動をやる」と。
 そういう国内でやったことと同じように国際貢献をやればそれなりに理解してもらえるというふうなことをを身をもって体験した。


2004年1月、

イラク南部のサマーワで復興支援活動を始めた陸上自衛隊



「われわれは人道復興支援部隊である。
治安維持部隊ではない。一致団結して任務を完遂しよう。」
 
 

しかし、アメリカ軍と一線を画したはずの自衛隊でさえ

武装勢力の攻撃の対象とされていきます



2004年3月3日 
サマーワからロケットランチャーを持った現地人が日本の部隊を狙っているとの情報 A警備発令

2004年4月6日
陸上自衛隊宿営地 ターゲットのテロ予告


そしてこうした懸念は現実のものとなります


2004年4月8日
今朝4時45分充電中の携帯電話が鳴った まさか ロケット弾らしい破裂音3初確認



相次ぐ攻撃を受けて

国会ではイラクに非戦闘地域はあるのか論戦が交わされました


陸上自衛隊がイラクで活動した期間は2年半

派遣部隊は次々と危険な事態に直面します

武装された集団に取り囲まれたこともありました



先崎 40、50人くらいだったんですかね、何だと。で、われわれの車が全部囲まれて向こうだって銃を持った人間がおりまして言いがかりをつけてくる。ミラーをやられたりですねえ、そういうふうな被害を受けたり、ほいで警備がこう銃を構えたところに唾をかけられたり。お互いに至近距離内で一触即発の状態で、まさに指に引き金をかける、そういうふうな状態になった。



このとき隊員が引き金を引くことはありませんでした

しかし一歩間違えれば

イラクとの関係悪化を招きかねない事態だったと先崎さんは振り返ります



先崎 まかり間違って武器使用のそういうところに発展するような事態があれば、それはもう裏切り行為といいますか、そうするともう将来に禍根を残す、日本対イラクというふうな枠の中でも大きな禍根を残す、そういうようなことにつながっていった危険性だってあったんじゃないかなと。わずか1発の弾でですね、いうふうなことまでやっぱり考えましたですね。



イラクでアメリカ軍と一線を画すことを模索した陸上自衛隊

今、アメリカ軍との連携は深まり海外派遣も続いています

1人も犠牲者を出すことなく終えたイラク派遣

部隊に撤収命令が出た日、

先崎さんの日記に書かれていたのは安堵の言葉でした




私の後ろにありますのが自衛隊の殉職者慰霊碑です

ここには訓練や災害派遣の任務の最中に亡くなった隊員

1831人の名前を記したプレートが収められています

ただ、その中には戦闘によって亡くなった隊員は一人もいません

このことは発足から60年、

自衛隊が一度も戦闘行為を行わなかったことを意味します

そして、それがこの国の戦後の歩みでもありました

日本の周辺では今、

北朝鮮が核やミサイルの開発を続け

中国が軍事力を強化しています

そして日本に軍事的役割の拡大を求めてきたアメリカ、

その中から日本と周辺諸国との緊張の高まりを懸念する声も出てきています

こうした変化の中

急速に高まる集団的自衛権の議論、

そして憲法9条をめぐる議論はどこへ向かうのか

私たちは今、この国の形が問われる大きな岐路に立っています












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1 件のコメント:

  1. 貴重な資料を良く書かれました。
    その努力に敬意を表します。

    私のHPの主要なものは下記。
    (公式HP)http://takahama-chan.sakura.ne.jp/
    (安らぎ文庫HP)http://h-takamasa.com/

    2018年5月3日 浜田隆政(Takamasa Hamada)

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