2013年8月26日月曜日

「自己否定の深み」哲子の部屋 2013/08/20(5)

マキタ 俺よりもっとこじれたやつとかを見たら、ちょっとかなわないとかって思ってたときがすごくあったんです。

千葉 あー、なるほど。
 この勝負のポイントは、変態仮面はやろうと思えばやれたのに、負けたと思い込んでるのがみそなんです。

マキタ うん、なるほど。

千葉 戸渡先生はより変態になればいいっていう、変態アイデンティティっていうのを究めようとしてる人なわけです。

マキタ うん、うん。

清水 うん、うん、うん。

千葉 ところが主人公は中途半端だった。で、これ映画だから極端に描いてますけど、僕らの中にもより究極の姿みたいなものを求めてる、戸渡先生なものっていうのが実はいるんじゃないのかなと。

マキタ 僕は、自分がこうあらねばとか、ビートたけしさんみたいになりたいとか、誰それみたいになりたい、そういう自意識に縛られてバランスを崩したんですよ。それとすごいよく似ている。

千葉 変態仮面は、なんであそこで負けたと思ったかっていうと、自分には本当のアイデンティティがないんだっていうことにとらわれたから。自分が何者だか分からないっていうのを突き詰めると自己否定の深みに陥るわけです。

マキタ うんうんうん。

清水 うんうん。

千葉 で、これは戸渡先生と表裏一体のことだと思うんです。

マキタ あー。

千葉 結局、どっちも変態なのか、ノーマルなのかっていうアイデンティティー問題にこだわってるから。一方はアイデンティティーを追求する、他方はアイデンティティーがないってことを突き詰めちゃう。

マキタ うん。

千葉 じゃあ、そのアイデンティティー追求と自己否定、この袋小路からどう抜け出したらいいのか? これはもう、いよいよ哲学的な問題になってきたわけなんです。

マキタ どうしたらいいんだろうねえ。

千葉 じゃあ変態仮面のその後っていうのを見てみましょう。



再び敵が襲い掛かる中変身を試みる、主人公狂介
 
しかし・・・
 
 
(狂介) 俺は・・・変身することすらできなくなってしまった・・・。
 
 
追い込まれた狂介はある考えに至ります
 
 
(狂介) 違う。ノーマルじゃ助けられないなんて、誰が決めたんだ。
 
 
変身しないまま、戦いに臨むのです
 
 
ここで中途半端を認めた主人公は再び変身を遂げます
 
 
(変態仮面) 俺はある重要なことに気付いた。
 
(戸渡先生) 何だ?
 
(変態仮面) 変態であればあるほど強いなどという法則は、どこにも存在せん!
 
(戸渡先生) 気付いてしまったか、その事実に。
 
(変態仮面) だから俺は自信を持って戦う。確かにお前ほどの変態ではないがな!
 
 
変態かノーマルかというアイデンティティーを突き詰めず
 
今の自分を肯定することで自身を取り戻すのです
 
 
 
マキタ 変態であればあるほど強いんだっていうのが間違いだって言ってますよね。
 
千葉 そうそう。
 
清水 うんうんうん。
 
マキタ で、目からうろこが落ちるというか。その変態の上、下、レベルの程度の違いだとかっていうところから自由になったっていうことじゃない?
 
千葉 そう、そう。
 
清水 うん、うん。
 
マキタ 偽変態仮面が仕掛けた独自の論理や理屈に絡め取られて、それで自分はレベルが低いんだとかっていう自己否定から解き放たれて強くなれたっていうのは象徴的だった。
 
千葉 うん。比べてより上、より上っていうふうに追求するんですよね。でも、そうじゃない、仮の状態のこの自分でいいっていうこと、自分は半端な変態仮面なんだっていうこと、それをそれで良しとする。だってきりがないわけでしょ、自分探しをしたって。で、中途半端な自分を肯定するっていうことで戸渡先生との対決みたいなものから抜け出せる。
 半端な、仮の自分でいいってことですよね。
 
清水 私は、なんかその、中途半端を肯定していいのかなっていうところで止まってるかもしれないです。
 
マキタ 中途半端ってやっぱりネガティブな言葉としてとらえてるけど。
 
清水 きっと自分の概念が邪魔してるのかも、私の中で。
 最近「私ってどんな人ですか?」って聞くことが多くって、周りからは「明るいよね」って言われることが多くて、で、私は明るい人なんだっていう意識を持ち始めると、明るく努めなきゃみたいな変な気が起きてきてつらくなりました。
 
マキタ だから思いのほか自分自身にも刃突きつけてるんじゃないのかな。
 
清水 うん。明るいアイデンティティーっていうのを究めたいって思ってたら競争から降りれないですよねえ。
 
千葉 そうですねえ。戸渡先生的な追求が偉いとは限らない。実は途中でやめたり、この程度でいいやって思うことのほうが難しいってことってあるんですよね。
 
清水 そうですねえ。
 
千葉 ドゥルーズって哲学者は大きく言うと、同一性じゃなくて差異が大事だって考えた人なんですよ。言い換えれば、アイデンティティーよりも、違い、多様性が大事だと。揺るぎない自分より、さまざまに変態していって自分をリミックスするっていうことだってできるわけです。それが変態するっていうことだし。
 でも、そもそも何でこのアイデンティティーにとらわれるっていうことになるのか、大まかに考えると、やっぱり近代っていう時代の現象で・・・。
 
清水 近代?
 
千葉 近代。ま、18世紀、19世紀ぐらいにかけての現象で、昔は八百屋の子どもは八百屋だったのが・・・。
 
マキタ そうだあ。
 
千葉 それがどんどん崩壊していって、自由になったって言えば聞こえはいいんだけど、何をしたらいいのか分からなくなっちゃってるみたいな。
 
マキタ うんうん。
 
千葉 今僕らの生きている現代っていうのも、それの延長上にあるわけです。アイデンティティー追求みたいなことを強いられてるんです。
 
清水 ああ。確かに。自分らしさってなんだろうって、今いっぱい選択肢があるじゃないですか。
 
千葉 うん。
 
清水 で、ウワアって悩んでたときに、あ、もう、ここが江戸時代で、どっか世継ぎにいくしかないみたいな限られた運命だったら自分も悩まずに決められるのにとか思ったことあります。
 
千葉 ああー。
 
マキタ ああー。
 
千葉 だから、本当の自分、アイデンティティーっていうのは、一つの神話、近代の神話かなと。
 「私と言うか言わないかがもはや重要でない地点に到達することだ」これがドゥルーズが唱えた現代哲学の根本原理なんですよ。何々でなければならないっていう呪縛から逃れて、中途半端でいびつな自分でオーケーってことにするっていうことかなあと思いますね。

おすすめ
「中途半端な自分を肯定する」哲子の部屋 2013/08/20(6)
「アイデンティティーは近代の神話」哲子の部屋 2013/08/20(7)
コミュニケーションの根源に迫る自閉症スペクトラム最新研究 サイエンスZERO 文字起こし
「俺はものすごくうれしいよ」宮崎駿スペシャル『風立ちぬ』1000日の記録(12) プロフェッショナル仕事の流儀

0 件のコメント:

コメントを投稿