2013年8月26日月曜日

「アイデンティティーは近代の神話」哲子の部屋 2013/08/20(7)

千葉 ドゥルーズって哲学者は大きく言うと、同一性じゃなくて差異が大事だって考えた人なんですよ。言い換えれば、アイデンティティーよりも、違い、多様性が大事だと。揺るぎない自分より、さまざまに変態していって自分をリミックスするっていうことだってできるわけです。それが変態するっていうことだし。
 でも、そもそも何でこのアイデンティティーにとらわれるっていうことになるのか、大まかに考えると、やっぱり近代っていう時代の現象で・・・。
 
清水 近代?
 
千葉 近代。ま、18世紀、19世紀ぐらいにかけての現象で、昔は八百屋の子どもは八百屋だったのが・・・。
 
マキタ そうだあ。
 
千葉 それがどんどん崩壊していって、自由になったって言えば聞こえはいいんだけど、何をしたらいいのか分からなくなっちゃってるみたいな。
 
マキタ うんうん。
 
千葉 今僕らの生きている現代っていうのも、それの延長上にあるわけです。アイデンティティー追求みたいなことを強いられてるんです。
 
清水 ああ。確かに。自分らしさってなんだろうって、今いっぱい選択肢があるじゃないですか。
 
千葉 うん。
 
清水 で、ウワアって悩んでたときに、あ、もう、ここが江戸時代で、どっか世継ぎにいくしかないみたいな限られた運命だったら、自分も悩まずに決められるのにとか思ったことあります。
 
千葉 ああー。
 
マキタ ああー。
 
千葉 だから、本当の自分、アイデンティティーっていうのは、一つの神話、近代の神話かなと。
 「私と言うか言わないかがもはや重要でない地点に到達することだ」これがドゥルーズが唱えた現代哲学の根本原理なんですよ。何々でなければならないっていう呪縛から逃れて、中途半端でいびつな自分でオーケーってことにするっていうことかなあと思いますね。


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