2013年8月31日土曜日

「東日本大震災、自分たちの答え」宮崎駿スペシャル『風立ちぬ』1000日の記録(3) プロフェッショナル仕事の流儀



だが、それから間もなく
 
3月11日、東日本大震災
 
宮崎が映画で描こうとしていた生きるのに困難な時代が現実のものとなった
 
 
地震発生から3日後
 
別の映画の追い込みに入っていたスタジオは混乱を避けるため3日間の休業を決めた


(会議室? スタッフが10名ほど集まっている)

宮崎 みんな来られたのに何で会社休みにするの? 自分で来られたのに。
 誰が混乱するの、それで! 誰が混乱するって言ったんだ! 何が混乱するんだ! 休んでしまったほうが混乱だよ、それが! 多少無理してもやるべし! 生産点を放棄しちゃいけないですよ。


宮崎はスタッフにパンを配って歩いていた


宮崎 ちゃんとパン屋だっていつもより朝早く起きてパン焼いてるんだから。全員に回るかどうか知らないけど。


だが、その内心は激しく動揺していた


宮崎 何を描けばいいんだろう。
 もう落ち着いて日々の仕事をやるしかないって無理に決まってるじゃんね。自分の中にもミシッと変化が起こったんじゃないかと思う。分かんないから妙にいら立つんですよ。簡単に言うとこの映画つくれんのかとか、そういうことも入ってるから。


関東大震災のシーンを本当に描いていいのか
 
絵コンテすら見たくないというスタッフもいる
 
 
2011年6月、宮崎はスタジオの全スタッフを集めた
 
その顔はある決意に満ちていた


宮崎 もっと物質的にも時間的にも窮迫した中に生きなきゃいけなくなるだろうと思うんです。そのときに自分たちは何をつくるのか。少なくともそれは十分予想されるときに、前と同じようにファンタジーをつくって女の子がどうやって生きるかっていうふうなことでは済まないだろうっていうふうに思いました。
 「風立ちぬ」っていうのはですね、実は激しい時代の風が吹いてくる、吹きすさんでる、その中で生きようとしなければならないという意味です。それがこの時代の変化の中に対する自分たちの答えでなければならないと思います。


2日後、宮崎は東京を離れた
 
震災から3カ月あまり
 
被災地に出向き、映画の上映会やサイン会を開く
 
 
宮崎は幼いころに見た空襲の焼け跡にそっくりだと感じたという
 
 
風が吹き始めた時代に自分は何をつくれるのか
 
 
東京に戻ればスタジオにこもっての本格的な映画作りが始まる
 
長い闘いが幕を開けようとしていた


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